清水寺(京都市)

 清水寺については、以前(2018年12月)、達谷窟(たっこくのいわや)との関連付けで御紹介しました。この頃、清水寺は、平成の大改修の最中でした。コロナ禍の2020年初めに改修工事は終わりましたが、今般久しぶりに当寺をお参りしてきました。コロナ前は、外国人でごった返していましたが、今はかなり余裕をもってお参りできます。写真を撮ることが好きな私にとっては、良い環境です。

<画像の説明>清水寺全景(泰山寺より)

 清水寺の創建については諸説ありますが、坂上田村麻呂がパトロンとなって、この地に観音菩薩を祀ったことから歴史の表舞台に現れます。この時代、清水寺において観音菩薩が祀られていたことは、人々に知られていたようで、同時代藤原伊勢人(ふじわらのいせんど)が、自身の私寺に清水寺と同様観音菩薩を祀ることを願ったが許可されず、都の北方を守護する毘沙門天を祀った事が知られています。(このことは、鞍馬寺の項を参照ください。)

<画像の説明>画像左又は下:清水寺本堂 画像右又は上:清水寺田村堂

 今、御本尊は秘仏ですが、お前立ちは、御本尊を写しているとの事です。それによると、御本尊は十一面千手観音菩薩です。千手のうち左右二臂を頭上に挙げて組んだ掌の上に、一体の化仏を戴く姿です。これは清水型と呼ばれる独特のお姿です。尚、本堂は国宝、その他の三重塔、経堂その他多くの建造物は重要文化財です。

清水寺の本堂の様に、崖や池などの上に長い柱と貫で建物を固定し、上部に広い平面を確保する建物の建て方を、懸造り或いは舞台造と呼びます。清水寺の場合は、釘を使わず楔(くさび)によって固定されています。舞台の下は18本の柱が6本3列に配置されています。(写真では真ん中の6本です。)今回の改修によって、舞台を支える柱は、基本新しいですが、旧来の柱もできる限り使われていることがわかります。

<画像の説明>清水寺本堂懸け造り基礎

この舞台はいつ頃からあったのか、結構古いものに違いないですが、平安時代末期には存在したようです。公家の藤原成道が、自身の『成通卿口伝日記』で、この舞台の高欄の上で何度か蹴鞠をした事が記されています。(➡以前の清水寺の項にもう少し詳しく書きました。)

あまり知られていないのですが、子安の塔(三重塔)のある泰山寺からみた清水寺本堂一帯は絶景です。子安の塔は、葛井(ふじい)親王に由来するとされます。葛井親王は、桓武天皇の第12皇子で、坂上田村麻呂を外祖父に持ちます。本堂横の三重塔同様観音菩薩の安産、子育て信仰を担っています。

<画像の説明>
画像左又は下:清水寺三重塔
画像右又は上:清水寺子安の塔(三重塔)

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

<画像の説明>
画像左又は下:清水寺門前の門前の複雑な電線
画像右又は上:平成の改修工事中の清水寺本堂

 

『枕草子』は「さわがしきもの」の例として清水観音の縁日を挙げています。今もこの様な門前の賑わいが、清水寺を支えています。(電線は早く地下化して戴ければと思います。)

2022年03月02日