瑞巌寺(宮城県松島町)

 瑞巌寺は、伊達政宗によって建立されました。政宗は、豊臣秀吉の建立した聚楽第をはじめとした上方先進地域の技術を奥州に移管、そして当時として最新の(伊達な)建造物を追求したと考えられています。現在、本堂、庫裡、渡り廊下が国宝、また、中門そして松島湾に突き出した五大堂は、重文に指定されています。

 

<画像の説明>画像左又は下:瑞巌寺本堂及び中門 画像右または上:瑞巌寺本堂彫刻欄間
      (本堂内部は撮影禁止です。瑞巌寺にて購入した絵葉書をスキャンさせて戴きました。)

 本堂は、1609年(慶長14年)に建立されました。桁行13間、一重入母屋造り、どっしりした豪華な建造物です。庫裏は、一重切妻造り、切妻の二重虹梁の様式美は秀逸です。これらの建物は、桃山建築の典型的な形式美を備えると言っても良いと思います。

 

<画像の説明>瑞巌寺庫裏

 五大堂へは、陸から小橋、透かし橋が架かっており島に通じています。五大堂は、慈覚大師(*)円仁が瑞巌寺を建てた際に、五大明王を安置したと伝えられます。現在安置される五大明王は、平安時代の作品と考えられていますが、円仁と同時代かはわかりません。五大明王は、33年に一度の御開帳とのことで、通常は拝観できません。


<画像の説明>

画像左又は下:瑞巌寺五大堂
画像右または上:瑞巌寺五大堂に安置された不動明王
(雑誌『目の眼』「2016年9月号 松島 瑞巌寺 伊達の至宝」よりスキャンさせて戴きました。)

 

 現状の瑞巌寺が位置するこのエリアには、平安時代からお寺がありました。このお寺は、慈覚大師(*)円仁開基の伝説を持つ天台宗のお寺で、延福寺と称されました。その後、鎌倉時代に北条時頼が、臨済宗の寺院に改め、名前を円福寺と改称したとされます。瑞巌寺の詳名は松島青龍山瑞巌円福禅寺(しょうとう せいりゅうざん ずいがん えんぷくぜんじ)となっていますが、瑞巌寺と省略して呼ばれるようになりました。東日本大震災以降、発掘が進み、様々な遺物が発掘され、瑞巌寺に併設された博物館に保管展示されています。


 瑞巌寺には、周辺に石窟があります。また、庫裡には、展望櫓が準備されています。周辺のがっしりした石垣と相まって、政宗が瑞巌寺を城郭と見做し仙台城が落ちた後、瑞巌寺で最後の一戦を想定していたとされることの証左かもしれません。

(*)慈覚大師(円仁)開基の伝説を持つ寺院は、東北地方に140寺あるといわれています。これについては、下記で言及していますので参照してください。

  ➡中尊寺、毛越寺へリンクします。

2019年05月05日