平安神宮(京都市)

 平安神宮は、1895年(明治28年)平安京に奠都を実行された桓武天皇を祭神として、創建されました。桓武天皇は平安京奠都や坂上田村麻呂に命じて蝦夷征討を行わせるなど、地位がもっとも高まった時代の天皇でした。その後、孝明天皇が合祀され今日に至ります。孝明天皇は、明治天皇の父であり、平安京最後の天皇ということで、皇紀2600年にあたる昭和15年(1940年)に合祀されました。

 

画像の説明: 平安神宮大極殿 


画像の説明:平安神宮応天門

 南面正面の応天門をでると、正面に大極殿、大極殿に向かって眼前に広大な白洲が広がります。左には白虎楼、右には蒼龍楼と壮麗な建造物が並びます。いずれも、平安神宮にかつて存在した朝堂院を凡そ3分の2に縮小したものです。白虎楼、蒼龍楼は、四神(蒼龍、白虎、朱雀、玄武)から名付けられたものです。応天門は、もともと平安京大内裏の朝堂院の南面正門に実在した門ですが、歴史上、「応天門の変」と呼ばれる藤原氏による政治的な疑獄事件の要因になった炎上現場として有名です。

 

画像の説明:平安神宮 白虎楼(左又は下)と蒼龍楼(右又は上)

 平安神宮は、当初平安京の大極殿跡地での造営が検討されましたが、京都市街地で、造営が難しく、現在の岡崎の地が選ばれました(*1)。当初は平安京の模造大極殿が計画されましたが、その準備過程で本殿を造営し、大極殿を拝殿とする神社の建設が決定されました。


 1869年明治天皇の東京再幸(*2)により、京都は日本の首都としての地位を失い、多くの技術、商業が東京へ流出、京都の人口は激減しました。明治の中頃から、京都復興が模索され、明治神宮造営も、公共投資の一環としての意味合いが大きかった様です(*3)。しかしながら、その後国家神道に利用された面も大きく、今に至っても平安神宮のイメージを幾分か覆っているように思えます。

 

画像の説明:左又は下 平安神宮南神苑内のチンチン電車 右又は上 中神苑より尚美館を望む

 南神苑には、京都市内を走ったチンチン電車が展示されています。平安神宮の創建年度と同じ明治28年から京都市内を運行していたことがその理由と伺いました。日本最初の一般営業用電車です。

(*1)岡崎に平安神宮を造営したことは大正解と言えます。現在では、平安神宮をはじめ、京都市美術館、京都国立近代美術館、京都市動物園等があり、京都の一大観光スポットに成長しています。地下鉄東西線も通り、随分便利になりました。

(*2)「天皇さんは一時的に東京へ巡幸したに過ぎない」と考えた人が当時は少なからずいらっしゃった訳で、ここでは、参考にさせて戴いた文献通り「再幸」とさせて戴きました。しかし、事実上或いは当時の政府要人の本音として、東京遷都(都を東京へ移すこと)、或いは、奠都(都を東京に定める事)だったことは明らかと思います。

(*3)平安神宮造営の翌年から始まったのが、京都三大祭りの一つ「時代祭」です。桓武天皇が入京したとされる10月22日に開催されています。時代祭も京都復興の起爆剤となりました。

2023年02月04日