八坂神社と八坂の塔(京都市)

 八坂神社では、神社の創建を、高句麗の使いが来朝した際に、山城国八坂郷に神祠を建てたとする初伝に基づいて斉明天皇2年(656年)説をとっておられます。八坂神社という名称はともかく、今の八坂神社が位置するところには、794年の平安京遷都以前から歴史的に神社が存在したことは間違いありません。八坂神社は、平安京より歴史が古いのです。

<画像の説明>八坂神社本殿

 本殿は国宝です。かつて別棟であった本殿と礼堂の建造物を一棟の屋根で覆ったものです。大きく長く広がる屋根が印象的ですが、平安時代にはこの様式が整備されていたと古図等に残ります。
 神社の歴史を申し上げるのは私の様なシロートには難しいことが多いのですが、それは、神社の場合、仏教寺院に比べて参考資料が少ないか、或いは非常に高価な事が多いためです。(*1)

 明治維新において、神仏習合を廃し、それまで信仰された「牛頭天王(ごずてんのう)」といった仏教用語で神を呼ぶことを禁じ(神仏判然令)、これに伴い、それまで呼ばれた祇園社・祇園感神院の名前を廃止し、八坂神社と称することになりました。

 八坂神社の正門は、南楼門です。有名で良く目立つのは、京都のメインストリート四条通の東端の朱塗りの門ですが、こちらは、西楼門と呼ばれています。両門とも国の重要文化財です。

 

<画像の説明>左又は下:八坂神社  右又は上:南楼門 西楼門


 法観寺、通称八坂の塔は八坂神社の南楼門の南方に位置します。法観寺の寺伝では聖徳太子が、如意輪観音の夢のお告げにより建立したとされ、古くは八坂寺と称しました。塔周辺では、飛鳥期の瓦が出土しており、中門、塔、金堂、講堂が一直線に並ぶ四天王寺式の伽藍配置を持っていました。

<画像の説明>法観寺五重塔

 今残る五重塔は、治承2年(1178)4月の雷火で焼け、永享12年(1440)足利義教によって再建されました。一辺6m、高さ46mの純和様建築(*2)で、重要文化財に指定されています。

(*1)本稿は、『八坂神社』(八坂神社編、株式会社学生社発行)を主に参照させて戴きました。安価でしたが、とても参考になりました。

(*2)木造五重塔は、伝統的な和様建築が多く残ります。再建され、また時代も様々ですが、創建当時の和様を維持していることがわかります。京都・奈良の主な五重塔の中で八坂の塔の位置付けは、高さ順に並べると下記の通りとなります。

 東寺  55m(江戸時代)(木造最高建築)
 興福寺 50m(鎌倉時代)
 法観寺 46m(室町時代)(八坂の塔)
 醍醐寺 38m(平安時代)
 仁和寺 36m(江戸時代)
 法隆寺 33m(飛鳥時代後期)

 すべて基壇を含めた高さ、いずれも当HPで紹介済みです。HP内でリンクを貼っていますので参照ください。

2023年01月02日