元興寺(奈良市)
元興寺は、我が国最初の本格的伽藍である飛鳥寺(法興寺)を前身とします。はじめ蘇我氏の氏寺でしたが、平城遷都に伴い官大寺として、現在地に移建され、元興寺と称せられる事となりました。 平安京遷都以降、寺勢は衰退しましたが、元興寺の命脈を支えることになったのは、奈良時代に智光が感得したと伝える智光曼荼羅(阿弥陀浄土変相図)でした。平安時代に起った阿弥陀信仰は、上流階級だけではなく一般庶民も極楽往生を願い、信仰の対象がこの智光曼荼羅となりました。 極楽坊は、従来の元興寺の唯一火災を免れた遺構です。鎌倉時代に、創建時の大僧坊を改装し、西方浄土(さいほうじょうど)を拝むために、東門を開きました。今も、東門からまっすぐ西方に極楽坊を見ることができます。
<画像の説明>元興寺極楽坊
このことは、以前このコーナーで取り上げた當麻寺も同じ状況です。当麻寺の場合は、それまでの南向きに建てられた金堂、講堂とは別に、東向きに新たに本堂を建て、当麻曼荼羅を祀っています。
元興寺極楽坊のすぐ隣、有名な奈良時代の国宝五重小塔の安置された法輪館と呼ばれる収蔵庫には、毘沙門天立像が祀られています。ここの毘沙門天立像は、宝塔を持たない所謂鞍馬式です。毘沙門儀軌には、根本印として、「右押左叉」と述べられています。鞍馬寺をはじめとした右手を腰に当て左手に叉をもつ単独で祀られた毘沙門天の本来の像容と考えられます。
鞍馬式毘沙門天については、「鞍馬寺」或いは本編「2.7幸福神としての毘沙門天」の項で詳細に説明させて戴きました。