柴又帝釈天(葛飾区)

 柴又帝釈天には、色々な顔を持ちます。アテンションの順では、
寅さん>>矢切の渡し>帝釈天>日蓮宗のお寺>秀逸な彫刻>庚申参り>柴又七福神参り
でしょうか。もちろん、寅さんにまつわる話がダントツにアテンションが高いですが、本サイトは、管理人の興味の順に、寅さん以外の話をさせて戴きます。

 

<画像の説明>柴又駅駅前の寅さんと妹サクラの銅像。サクラ像は、2017年3月に除幕されました。
      一緒に写真に写りたい人や自撮りの人も多く、なかなかシャッターチャンスが訪れない。 

 

 京成線柴又駅の改札を出ると正面に「寅さんの像」があります。その向こうに参道の入り口が見えます。両側に草餅や塩せんべいの店を見ながら参道を進むと、徒歩3分で当寺に到着します。
 寺の縁起によりますと、江戸時代初期の1629年に開創された日蓮宗寺院で、正式には経栄山題経寺と言います。

 宗祖日蓮が自ら刻んだという伝承のある帝釈天の板本尊がありましたが、長年所在不明になっていました。それが、9代日敬の時代に、本堂の修理を行ったところ、棟木の上から発見されました。この板本尊は片面に「南無妙法蓮華経」の題目と法華経薬王品の要文、右手に剣を持った武人タイプの帝釈天像を表したものです。残念ながら、この板本尊は、私たちは、直接見ることができません。
 この板の発見されたのが1779年の庚申の日でしたので、60日に一度の庚申の日が縁日となりました。日敬の見事なマーケティングの成果です。

 参道の突き当たりに二天門が建ち、正面に帝釈堂、右に祖師堂(旧本堂)、その右手前に釈迦堂(開山堂)、本堂裏手に大客殿などが建ちます。二天門、帝釈堂などは彩細部には精巧な装飾彫刻が施されています。

 

<画像の説明>画像左または下:柴又帝釈天帝釈堂 画像右または上:柴又帝釈天二天堂 

 

 帝釈堂内殿の外部は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われています。中でも胴羽目板の法華経説話の浮き彫り10面は秀逸ですので、どの面を掲載するか迷いましたが、「多宝塔出現の図」を選ばせて戴きました。釈迦の説法がすばらしいので、塔が現れました。このサイトのメインテーマの兜跋毘沙門天像の地天にも同じように、釈迦の説法を聞きたくて、地神が地下から現れたと説明されることがあります。「多宝塔出現の図」の多宝塔の出現は、法華経のすばらしさを表現しています。

 江戸時代以降には、仏像には見るべきものはあまりありません。その代わり、日光東照宮をはじめとして、まさに彫刻の時代となりました。当寺も軒下、羽目板到るところに、江戸時代から昭和時代に至る秀逸な彫刻が残ります。まさに彫刻の寺と言われる由縁です。

 

<画像の説明>柴又帝釈天 帝釈堂の胴羽目板の彫刻「多宝塔出現の図」

 

 帝釈天は、バラモン教の武勇の神でしたが、仏教に取り入れられました。釈迦の説法を聴聞したことで、梵天と並んで仏教の二大護法善神となりました。仏教では、これらのバラモン教の神様を如来や菩薩の下に置くことにより、バラモン教に対する仏教の優位性を示すことになりました。帝釈天は、四天王や眷属を下界に送り、報告を受けるのも主な務めのひとつです。

 このサイトで以前扱った寺院には、帝釈天の祀られるお寺が2つあります。残念ながら、二尊とも写真撮影禁止で、掲載はできません。それぞれのHPで確認ください。
 一つは、東寺講堂の帝釈天です。この像は、白象に乗った木像(平安時代前期)で、一面三目二臂で金剛杵を持ち、白象に乗って半跏踏み下げの姿勢をとっています。因みに、梵天は正面の顔のみ額に第三の目を持っており、 4羽の鵞鳥(がちょう)が支える蓮花の上に坐しています。

 ➡東寺は、こちらよりリンク可能です。

 

 更にもう一つは東大寺法華堂の帝釈天(奈良時代)です。こちらも、主尊の不空羂索観音の両側に梵天・帝釈天像が祀られています。梵天・帝釈天像自体劣る訳ではありませんが、ここには国宝だけでも10体あり、金剛力士像の陰に隠れるようで、一寸損をしている様に思います(国宝は従来12体ありましたが、不空羂索観音の両サイドに祀られていた伝日光菩薩、伝月光菩薩は、東大寺ミュージアムに移されました。)。

 ➡東大寺法華堂は、こちらよりリンク可能です。

 

 東寺の様な密教系寺院とその他の寺院では、梵天・帝釈天像の像容は、大きく変わりますが、主尊に向かって、右が梵天、左が帝釈天という点でレイアウトは一致しています。帝釈天が、甲を着けた武人タイプ、梵天が兜を着けないのが一般的です。(と言いながら、東大寺法華堂の場合は、これが逆になっています。長い歴史の中で入れ替わったと指摘される先生もいらっしゃいます。)
 柴又帝釈天の場合は、甲は着装しませんが、武人タイプ、口ひげを蓄えます。

 

 ところで、当寺は、柴又七福神のうちの毘沙門天にあたります。帝釈天は、毘沙門天の報告を聞く人で、謂わば、毘沙門天の上司になります。近しいですが同じ尊格ではありません。毘沙門天と帝釈天を同じ尊格と考えた人がいたということでしょうか。
 二天門を入って、直ぐ左手に説明用のパネルが設置されています。柴又七福神は、葛飾区の公式サイトに説明が記載されています。

 

追記:
 軒下の彫刻が素晴らしい当寺ですが、鳥害糞害は深刻と思います。屋根下にプロテクタを付けるのは無粋です。何もつけないというお寺様のご英断に感激です。
 柴又帝釈天より数分歩くと江戸川の川岸に当たります。このあたりが、矢切の渡しのあった場所です。

<画像の説明>画像左または下:柴又帝釈天大鐘楼軒下  軒下には彫刻が見えますが、斗供には
            鳩が居ついています。鳩の下は斗供の先が糞で汚れているように見える。
       画像右または上:江戸川川べり。以前は、矢切の渡しがあったあたりです。

2017年08月27日