池上本門寺(東京都大田区) 主に宝塔のこと

 当寺の宝塔は、屋外に建つ木造宝塔としては日本唯一です。日蓮を荼毘に付した跡地に、550年遠忌(日蓮没後550年)を前にした1830年(天保1)犬山城主成瀬正壽(なるせまさなが)等を本願主として再建されました。円形の塔身は、朱漆塗りで、方形の屋根は銅板葺きです。内部には、四天柱の内に更に中形の宝塔を安置しているそうです。国の重要文化財に指定されています。

 宝塔について説明させて戴きます。この様な仏塔には、宝塔と多宝塔がありますが、一重塔を宝塔、二重塔を多宝塔と言います。木造の宝塔は、現在、当本門寺のみに現存しています。多宝塔は、国内に多数現存しますが、今回は画像を3か所ご紹介しています。多宝塔は、宝塔に裳階(もこし)(*1)を付けたもので、二層に見えます。屋根が高い事、或いは、軒の出方も制限される場合、雨の多い日本では、雨の降り込みを避けられず、木造建築の宝塔は、雨で傷みやすいことから、裳階を付けた多宝塔が多く建てられた要因ではないかと考えます。


<画像の説明> 左又は下:本門寺宝塔 右又は上:石山寺多宝塔


 当寺の宝塔は、塔身を高級な朱漆塗とし、壮麗さと合わせて木材の保護をはかったのではないかと、考えられます。


<画像の説明>左又は下:知恩院多宝塔 右又は上:よみうりランド聖地公園多宝塔

 塔は、インド発祥のストゥーパ(サンスクリット語)が、元になっています。ストゥーパは、仏教の開祖の釈迦が荼毘に付された際に残された仏舎利を納めた塚とされますが、これに関しては、
文末(*2)に若干コメントさせて戴きました。その後、ストゥーパは、中国へ伝わり、卒塔婆(そとば)となりました。宝塔、多宝塔は、ストゥーパの形を彷彿させます。

 卒塔婆から発展した仏塔には、宝塔以外に、三重、五重塔等の多層塔があります。こちらは、三重、五重・・・十三重とすべて奇数です。仏塔の最上屋根の上の露盤宝珠にその面影が残ります。

 本門寺には、五重塔も現存します。この塔は、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母岡部局の発願により、秀忠が、1608年(慶長13)寄進建立しました。関東に残る最古の五重塔です。先の戦争で本門寺の建物の多くは焼失してしまいましたが、この五重塔は奇跡的に焼失を免れました。江戸時代の塔ですが、外観はきわめて古風に属します。ここでは、蟇股が一寸面白いので掲載しています。国の重要文化財です。

 五重塔は、以前このHPに掲載しましたので、ジャンプして、御覧ください。
➡本門寺五重塔

(付)
 当寺は、江戸時代には名だたる大名家、現在では、著名人も多く眠ります。その1つ力道山のお墓をご紹介しておきます。


<画像の説明>左又は下:力道山墓所 右又は上:本門寺五重塔蟇股
(*1)
 裳階(もこし)は、仏堂、塔、天守等で、本来の屋根の下にもう一重屋根をかけるかたちで付けられます。風雨から構造物を保護するため、或いは、装飾のために付けられました。建築上、構造材にはなっていないことに注意してください。裳階の付いた、法隆寺の五重塔、金堂の画像を添付しておきます。



(*2)
 釈迦の在世中(紀元前6C)、当寺隆盛したバラモン教やジャイナ教の人々も盛んにストゥーパを建てました。ストゥーパが、釈迦の遺骨を納めておくために造られた訳ではなく、「釈迦の遺骨を納めておく建造物」が、中央アジアから、中国へストゥーパという名前で伝わったと考える方が自然です。


2022年11月03日