塩釜神社(宮城県塩釜市)

 塩釜神社(*1)は、陸奥国の一宮です。弘仁式、延喜式にも名前が見えるというので、9世紀以前に成立していた古い神社です。祭神は、別宮:塩土老翁神(しおつちおぢのみこと)左宮:武甕槌神(たけみかづちのみこと)右宮:経津主神(ふつぬしのみこと)の三柱です。現地の説明書きによりますと、武甕槌神、経津主神は大和朝廷の武官で、陸奥国鎮定して当地に祀られました。また、塩土老翁神は、彼らの先導役で、鎮定後も当地に留まり、塩作りを教え広めたとされます。

 境内の社殿14棟と鳥居1基がすべて国の重要文化財に指定されています。社殿は、伊達氏によって建立、江戸時代前期、元禄から宝永年間に順次完成しています。鳥居をくぐると石段の先に朱塗りの随身門(*2)が見えます。3間入母屋造り、銅板葺きです。随身門の先に唐門があります。唐門とはいうものの、屋根は唐破風にはなっていません。なぜ唐門というのか、良くわかりません。

 

 

 

 

 



 

<画像の説明>画像左又は下:塩釜神社参道 画像右または上:塩釜神社随身門

 

<画像の説明>塩釜神社本殿

 

 唐門の先に、正面に社殿があります。左宮:武甕槌神右宮:経津主神を祀ります。建物は、桁行(梁に対して直角方向)7間、梁間(梁に対して平行方向)4間、入母屋造り、銅板葺きです。本殿に向かって右側3間が左宮、向かって左側が右宮(左右は私たち参拝者ではなく、神様から参拝者を見た向きです)。本殿背面には左宮本殿・右宮本殿があります。これらの関係は、言葉では説明がややこしいのですが、域内の説明パネルを撮影させて戴きましたので、これをご覧になれば、お分かりいただけると思います。


 

<画像の説明>画像左又は下:塩釜神社本殿説明図 画像右または上:塩釜神社別宮


 別宮拝殿は、塩土老翁神を祀ります。桁行5間、梁間3間入母屋造、銅板葺きです。別宮拝殿も、回廊によって拝殿とつながっているとのことです。

 塩釜神社に関してもう1点特徴を申し上げますと、屋根はシンプルですが、屋根上の鰹木(かつおぎ)も千木(ちぎ)(*3)もなく、一瞬見た感じは、仏教寺院と見間違いそうな点です。


 神社建築は、日本においては、仏教建築より古くからありました。様式としては、大社造(出雲大社)、神明造(伊勢神宮)、或いは春日造(春日大社)等が有名です。これらの様式は上古以来かなり受け継がれてきたと考えられていますが、20年或いは60年というような造替を繰り返しますので、造替のたびに、時代時代の仏教建築の影響を受けてきました。
 要因は主に二つあると考えられます。一つは、宮大工と言われる人たちが、寺院、神社両方の建築に携わってきたことです。また、もう一つは、日本では、神仏習合が行われて、神社と寺社の区別をつけることに大きな意味を持たなくなってきたことです。
 この結果、地域によって程度の差はありますが、江戸時代には、神社にもかかわらず、仏堂に近い建物が多くみられるようなりました。この様なことで、現在の塩釜神社は、江戸時代の神社建築の特徴をいかんなく発揮しているといえます。

(*1)塩釜神社は、正式には、鹽竈神社と書きます。読み方は、同じ「しおがま」です。漢和辞典では、鹽は、塩の旧字体、釜と竈は、別字ですが、意味は同じく「かま」だそうです。ネットで配信する都合上、塩釜で統一させて戴きました。

(*2)随身は、貴人の外出時に警護のために勅撰によってつけられた近衛府の官人を言いますが、神社の場合神門の左右に安置する官人の風をした像を言います。寺院でいうところの金剛力士像(仁王像)に相当します。

(*3)鰹木は、神社の屋根に並べた中ぶくれの円形の装飾の木、また千木は、神社の屋根の上にある交差した装飾用の木のことで、神社建築の特徴の一つとされます。

2019年12月01日