唐招提寺その2(奈良市)

 先月(2018年5月)に唐招提寺を取り上げました。しかし、一部の方から、唐招提寺の周辺情報ばっかりだ、せっかく立派な国宝が祀られているのだから、それについて言及するようにと、お叱りを受けました。ということで、再度唐招提寺を取り上げました。

 

<画像の説明>画像左または下:唐招提寺金堂全景
       画像右または上:唐招提寺金堂軒下( 整然とした純和様の軒下に注目)


 唐招提寺金堂には、他の寺院には無い組合せの三尊像が祀られています。三尊像は南面していますが、東から薬師如来立像、廬舎那仏坐像、千手観音菩薩立像です。東側に薬師如来が祀られるのは、薬師が東方瑠璃光浄土の教主ということで理解できるように思いますが、それ以外は、私には良く分かりません。寺の史料にも、具体的教義との関係は良く分からない旨が書かれていたように記憶しています。

 ただ、教義はともかく、当寺の金堂は、この三尊像はもちろん東西に置かれた梵天、帝釈天及び四隅の四天王も創建以来一度の変更もなく今日に至っており、このことが、仏教美術的には、当寺の計り知れない価値になっていると思います。私を叱って下さった方もこのことを強調されていました。

 

<画像の説明>画像左または下:唐招提寺金堂内陣 画像右または上:唐招提寺廬舎那仏
              いずれも、唐招提寺で購入した絵葉書をスキャンさせて戴きました。


 中央の廬舎那仏は、寺の説明書きに依りますと、丈八とあります。しかし、実際の像高は304㎝、2丈といっても良いと思います。当寺の説明書きに、丈八と説明されるのは、下記でご説明する千手観音菩薩との兼ね合いがあると考えます。当仏は、奈良時代に主流だった脱活乾漆像です。最近、唐招提寺は建造物も仏像も平安時代に時代を下らせる議論が多いですが、制作方法において、当廬舎那仏は、千手観音や薬師如来より一等古く、奈良時代の匂いのより濃い作品です。迫力のある大きな頭部、量感を強調した肩、そして横幅の広い体つきは、平安時代の仏像とは一線を画しています。このクラスでは、史上最後の脱活乾漆像では無いでしょうか。

 西方の千手観音と東方の薬師如来は、木芯乾漆像(*1)です。この時代の薬師如来は、薬壺を持っている訳ではありません。当像も薬壺を持っている訳ではなく、見た目だけでは、薬師如来と判断できません(*2)。
 千手観音菩薩像は、丈八(像高536㎝)です。中央の廬舎那仏と千手観音を同等の大きさと考えることに依り、同等の価値の本尊と考えられます。当寺の千手観音は、大手42本、小手911本、計953本の手を持っています。当初は、きっちり1000本あったものとされています。日本には、実際に千手ある千手観音は、そう多くはありません。

 ➡実際に千手ある千手観音については、こちらをご覧ください

(*1)脱活乾漆像は、木芯に漆を染み込ませた布を何重にも貼り付け、乾燥させた後、中の芯を抜く工法です。乾燥した漆が自立体となります。脱活は、芯を抜くことを意味するそうです。それに対して、木芯乾漆像は、木芯に対して漆を塗って乾燥させますが、芯を抜けるほど(自立できる程には)厚く漆を塗りません。

(*2)薬壺を日本にもたらしたのは、清凉寺の開祖、奝然(ちょうねん、平安時代中期)と言われています。奈良初期の薬師寺や平安初期の唐招提寺の薬師如来は薬壺も持たず、釈迦如来と区別が難しいです。このことは、以前、武蔵国国分寺の項で述べました。
 
  ➡武蔵国国分寺の薬師如来についてはこちらをご覧ください


尚、唐招提寺前回分は、こちらをご覧ください。
  
  ➡唐招提寺へジャンプ

2018年06月24日