興福寺中金堂(奈良市)

 奈良は、今空前のインバウンドブームで賑わっています。興福寺周辺奈良公園も外国人で一杯、鹿にせんべいを与える様子も随分変わってきています。中国人のそれは、もう、とことん、鹿に‘待て’をさせるので、鹿が怒りだすのではないかとひやひやしてしまいます。

 興福寺は、平安時代以降何度も被災炎上しました。その中で、特に有名なのは、平重衡による南都攻め(1180年)ですが、都度、興福寺は、伝統的な和様建築を用いて再建しました。伝統的な和様建築の五重塔は、今も奈良公園の一等地において一等の存在感を発揮しています(*1)。

 

<画像の説明>画像左または下:興福寺五重塔  国宝(室町時代に再建)
       画像右または上:興福寺三重塔  国宝(鎌倉時代)

 今、興福寺では、中金堂の再建が進んでいます。こちらは、今年(2018年)秋の完成予定です。出来上がり完成図で見る限り、外観はおそらく旧来からの和様建築です。もちろん、旧来の和様建築といいましても、巨大な重機が使われますし、柱等の材料も最新の製材方法で作られていることは、言うまでもありません。鎌倉時代の五重塔復活の際も、当寺の最新の技術を用いながら、復古したことと推察します。

 

<画像の説明>画像左または下:興福寺中金堂完成予想図 画像右または上:再建中の興福寺中金堂

 今、旧来の文化財の再建に関して、何が何でも、材木のみで作りたいという考え方が一部にある様です。例えば、昔の建物のはずなのにエレベータとかコンクリートが見えるのはおかしいと言われるのが癪で、歴史的価値や文化財としての価値も考えないで、昔ながらの材木だけの技術で再建したいとおっしゃる政治家もいらっしゃいます。しかし、薄っぺらなノスタルジーだけでは、文化財の再建はできません。

 

 実際には、内部に保存・展示する文化財保護の観点から、火災対策や地震対策が必要と思いますし、又、ハンディーキャップの対策も必須です。工期の件からも、材料も工法も近代的にならざるを得ません。木材加工には実際には、高性能のチェーンソー等の使用が必要ですし、近代的重機で組み立てのが現実です(*2)。

<画像の説明>画像左または下:興福寺北円堂 国宝(鎌倉時代)
       画像右または上:興福寺南円堂 重文(江戸時代)


 単に材料のみに注目して、材木だけにこだわることに、私はそれほどの価値は感じません。建立直後には、内部に安心安全を前提に何を展示するか、どうすれば多くの人に来館願えるかを意図する方がずうっと重要です。その時代時代によって、ニーズは違いますし、美意識や価値観も変わります。その結果、数百年後には、無くてはならない文化財に発展するはずですし、そのことが重要と考えます。

 興福寺中金堂は、長い歴史のなかで、興福寺の再建が総じてそうだったように、最新のテクノロジーと旧来の技術を上手く組み合わせて再建されていることと存じます。数百年後を想像して、今の完成が楽みです。今、だいぶ姿を現しました。鴟尾も今はまだ薦を被っています(*3)が、お披露目も間近と思います。今後も長きに亘って継続、発展してほしいと思います。

(*1)東大寺の再建の過程は、興福寺とは大きく異なりました。東大寺は再建に当たり、当時宋より  もたらされた最新のテクノロジーの大仏様を採用しました。

   ➡東大寺の大仏様についてはこちらを参照ください

(*2)古建築の再建に、私は二つの例を提示させて戴きます。
その1.1975年に再建された法輪寺三重塔では、材木と鉄筋の組合せの建立が議論になりました。また、西岡常一氏、小川三夫氏による槍鉋による製材が行われました。

   ➡再建された法輪寺にリンクします。

その2.小田原城銅門は、材木のみを使用して再建されました。しかし、想定が江戸時代との割に、柱の製材に大量生産的な技術が見えてしまいます。

   ➡小田原城銅門にリンクします


(*3)掲載の写真は、2018年6月1日に撮影したものです。7月30日このブログをアップした直後、既に鴟尾の薦は外された旨、茅野市在住のAさんより連絡を戴きました。
Aさんありがとうございました。

2018年08月05日