春日大社(奈良市)

 春日大社は、国宝・春日造りの御本殿を中心とした神社です。春日大社では、この度、式年造替が行われました。式年とは、定期的という意味です。春日大社の場合、式年造替は、20年ごとに、一旦、神様を、仮殿に移して、その間に、本殿を修復或いは建替えして、再度神様を本殿に戻す事業です。

今回の春日大社の場合は、
2015年 3月27日 仮殿遷座祭(下遷宮)執行
2016年11月 6日 本殿遷座祭(正遷宮)執行
されました。

 ところで、春日大社の式年像替は、一昨年国民的関心事項となった伊勢神宮の式年遷宮とはどう違うでしょうか。
 伊勢神宮の式年遷宮は、原則として20年ごとに、内宮・外宮を始め、すべての社殿を造り替えて神座を移す事業です。式年遷宮は、式年造替より更にハードルが高いと言えます。

 式年遷宮の制度が定められた天武天皇の時代、7世紀後半には、既に礎石を用いる建築技術も確立されていました。法隆寺の場合は、(再建説を採用したとしても)7世紀末の建築物でり、基本的な部分は、現在まで残っています。当時の国力・技術をもってすれば、神社も現在にも残る建物にすることは可能であったと思えます。

 興福寺と春日大社は、それぞれ、藤原氏の氏寺、氏社ですので、神仏習合の習俗の中では、建築技術も「習合」しても不思議ではなかったと思いますが、なされませんでした。神社建築には礎石は用いられませんでした。春日大社の場合は、山自体が神様ですので、そこに巨大な礎石を置くことが、憚れたのかもしれません。

 当初からそうだったかはわかりませんが、参考までに現在の中門の画像を掲載します。大筋は、和様建築です。

 

<画像の説明>春日大社中門・御廊(おろう) 重要文化財です。
                     この建物は本殿ではありません。念のために。

 ということであれば、定期的に膨大な費用を投じる式年遷宮や式年造替を良しとする理由はわかりませんが、あくまでも技術的な問題では無く、心の問題、文化の問題だったと考えられます。
 仏教は、あくまでも外来のもので、神社は日本古来のものです。寺院は、古いこと、歴史あることに意味を持たせ、神社は、常に新しい事に意味を持たせたのでしょうか、これは、私の想像です。


<画像の説明>春日大社本殿内部
     地面の高さに合せて神殿を作り上げた、春日造りの特徴が見て取れます。国宝です。
     正面からの写真撮影は禁止、側面からなら可でした。因みに、2015年4月2日撮影です。

 

 2016年には、春日大社の内部を見ることができました。式年造替の間(神様が本殿に居られない間)のみ解放されました。1時間以上並びましたが、20年に一度の事ですので、我慢できました。(唯、インバウンドの観光客が多いことが不思議でした。)

 ところで、このことは、上述しましたが、興福寺は藤原氏の氏寺、春日大社は、藤原氏の氏社です。日本において、神仏習合は長い歴史を持ちますが、明治以降、神仏分離が進みました。しかし、奈良では、必ずしもそのような単純なことにはなりませんでした。
 今でも、興福寺の貫主が毎年1月2日に春日大社にお参り、神前読経しておられます。今回の式年像替の際には正遷宮を祝い、6大寺(東大寺、興福寺、西大寺、唐招提寺、薬師寺、法隆寺)の僧侶がそろって読経されました。一神教の世界では、あり得ない話です。

 

<画像の説明>春日大社中門拡大写真軒下の組み物は、和様建築の寺院と似ています。

(追記)御造替の記念に春日三笠香という匂い袋を戴きました。春日大社は、お清めに「香」を用いるそうです。戴いた匂い袋は、2年以上経過した現在でも、良い香りを醸しています。

 

<画像の説明>春日三笠香  藤原氏に因んでか、藤が装飾されています。

2017年09月17日