秋篠寺 秋篠大元帥明王(奈良市)

 秋篠寺は、本堂の伎芸天が有名です。名前から芸術家やタレントのタマゴが訪れることがあるそうです。確かに、首を一寸傾けた像は情感たっぷりです。現地で買い求めた写真を満載したパンフレットには、伎芸天が本来の尊名であったかは定かではないという記載がありますが、普通には観音菩薩立像に見えます。

 この像が理由も時期も良く分からないのですが、おそらく鎌倉時代の修理に際して首を傾けてしまった(或いは意識して首を傾けた(*))以降、他にはほとんど例のない伎芸天という尊像名を与えたことで、現在では、伎芸天が秋篠寺の人気を支えています。マーケティングの妙で、私は常々感心しています(伎芸天の人気に水を差すわけではありません)。

 

(*)伎芸天の頭部は奈良時代の乾漆像、体部は、鎌倉時代の木彫です。

 

<画像の説明>秋篠寺本堂 堂中に伎芸天が祀られます。

 

 今回ご紹介するのは、本堂の西の大元堂に安置された秋篠大元帥明王(だいげんすいみょうおう)です。なお、真言宗の寺院では、帥(すい)は、発言しないそうで、お寺が発行した資料には、「だいげんみょうおう」と記載されています。

 大元帥明王の図像は、遣唐僧 常暁(じょうぎょう)が、839年に日本に請来しましたが、6本の手をもち、体じゅうに蛇が巻き付いた忿怒像です。朝廷の鎮護国家の祈祷(国の怨敵や逆臣の調伏)のために重用されたため、朝廷の許可した真言寺院以外が大元帥明王を祀ることを禁じました。そのため、大元帥明王自体は、あまり多く作られなかったと考えられます。秋篠寺は、真言宗醍醐寺或いは朝廷との関係が深く、大元帥明王が祀られたと考えられます。

 

<画像の説明>画像1:旧本堂跡。本堂が平安時代末、被災した後、講堂(元、本堂)が、本堂として使われています。画像2:大元帥明王の祀られる大元堂。

 

 大元帥明王は、秘仏となっていますが、年に1日(6月6日)に一般公開されます。その日は、普段の静寂さとは打って変わって朝早くから、多くの人が来られ、列をなします。大型の観光バスで団体客も来られます。

 

<画像の説明>大元帥明王の御開帳日(6月6日)に順番を待つ人々。その多くは、御朱印を求めて集まった人です。当日は大型の観光バスらで来場する人もいます。2015年6月6日の風景です。

 

 しかし、よくよくその人たちに話を聞いてみると、私の様に大元帥明王を見たい人は殆どいなくて、大元帥明王の御開帳に合わせた特別な御朱印がもらえるという、御朱印人気にあやかったものでした。御朱印をもらうと、入場することなく、帰られる方が多く見受けられます。年に一度の特別拝観の日のみ特別の御朱印を授けるということで、これもマーケティングの結果をきちんと集客に反映させておられるのだと思います。

 追記:大元帥という言葉が、軍組織における大元帥や元帥の呼称の語源になったという説を聞いたことがあります。以前から気になっているのですが、個人的に調査したことはありません。どなたかご教授戴ければ嬉しいです。

2017年05月21日