唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町)

 私の持つ昭和時代の日本史の年表では、稲作とともに始まった弥生時代の開始は、BC紀元前2-3世紀頃と記載されています。その後、私は、炭素14年代測定法の開発で、弥生時代の始まりが紀元前5世紀まで遡ったことを知りました。

 21世紀に入って、国立歴史民俗博物館(歴民博)は、短い時間で高精度に測定できる AMS(加速器質量分析法)を駆使し(*1)、土器についたススやコゲの様な少量の炭素を使用した、年代測定を発表しました。それに依りますと、本格的な水田稲作が、北部九州で始まったのはBC10世紀頃となりました(*2)。弥生時代の開始時期が一挙に500年ほど、早まったことになります。

 歴民博の見解によりますと、弥生時代は、紀元前10世紀から、古墳時代の始まる直前の紀元後2世紀まで、おおよそ1200年間続いたことになります。北九州で稲作が始まってから、2-300年くらいかかり、紀元前8世紀頃に、近畿地方に稲作が伝わったとされます。

 唐古・鍵(からこ・かぎ)遺跡は、稲作農耕の始まった弥生時代を代表する環濠集落遺跡です。遺跡面積は42万㎡、奈良市から南下する国道24号線の両側に展開しています。大和地方では、弥生時代研究の原点となる遺跡で、遺跡発見から100年以上発掘の歴史があります。遺跡自体は、約600年間継続したことが判明している遺跡です。

 最初になぜAMSを用いた炭素14年代測定法を紹介したかを申しますと、実は唐古・鍵遺跡の始まった時期がどの資料を見ても明確に記載されていないからです。唐古・鍵遺跡は、相対的には600年の期間、遺跡が存在したことは明らかになっています(*3)が、開始時期についての絶対的な年代観は通常の史料には記載されていません。唐古・鍵遺跡についても、AMSを用いた炭素14年代測定法を使用した絶対的な年代観を私は知りたいと思っています。(実は私が知らないだけでもう公知なのかもしれません。その際はどなたかご教授戴ければ幸いに存じます。)

 唐古・鍵(からこかぎ)遺跡の特徴のうち、一つは、青銅器鋳造関連遺物です。この遺跡から出土した遺物には、多くの土製の鋳型外枠を利用した鋳型で、銅鐸や銅ぞくなどが鋳造されました。


<画像の説明>唐古・鍵遺跡 渦巻付きの楼閣


 もう一つの特徴は、楼閣と大型建物を描いた土器です。土器には、2層の屋根、渦巻状の棟飾り、三羽の鳥が描かれています。楼閣を描いた絵画土器に基づき、遺跡のランドマークをとして楼閣が復元されています。屋根は茅葺きで、丸太で放射状に配置されています。また、渦巻状の屋根飾りは藤葛で復元されています。
 ランドマークという言葉は、唐古・鍵ミュージアムで戴いたパンフレットに掲載された言葉ですが、極めて謙虚な言葉です。確かに、楼閣を描いた土器が出ただけで、その様な楼閣が有ったことの確証が得られた訳ではありません。しかし、弥生人が想像だけで描けるものではないと思いますので、そのような楼閣が有った可能性は高いと考えられています。唯、この様な渦巻状の装飾を持った楼閣が、何時頃作られたのか、絶対的な年代観は、どのように考えらているのでしょうか。

(*1)年代年輪法との併用で、例えば、年代の解明された材木の炭素の採取、計測することに依り、特定の年代の正確な炭素14の含有量を解明することができます。

(*2)専門的な資料がたくさん発表されていると思いますが、私は、下記で知りました。
藤尾慎一郎 『弥生時代の歴史』 2015年 ㈱講談社
 (尚、藤尾慎一郎氏は、国立歴史民俗博物館副館長(当時)です。

(*3)考古学では、層位(土器等の出土した地層による年代判定)と型式(土器等の変遷に注目した年代判定)を駆使した年代判定が行われます。これらは、相対的により古いか或いはより新しいかについて、有効と考えられます。弥生時代について言えば、考古的資料と、年代を明記した史料が同じ地層から出土する訳ではないので、層位と型式だけでは、絶対年代についての確定は難しいと考えられています。

 ところで、AMS炭素14年代測定法は、海洋リザーバー効果や、ススの古木効果の疑いについて更に議論が必要な旨の主張がされています(*4)。このことは、弥生時代の開始時期等の大雑把な年代観と特定はともかく、邪馬台国の様なより詳細な年代観に影響がでるとされます。因みに、私は、AMS炭素14年代測定法が、統計学的な手法である以上、測定結果がある程度積みあがることに依り、このような議論は、自然に収斂していくと考えています。

(*4)例えば、安本美典氏『「邪馬台国=畿内説」「箸墓=卑弥呼の墓説」の虚妄を衝く!』において、歴民博の発表したAMS炭素14年代測定法を痛烈に批判されています。

2018年05月27日