大雄山最乗寺(神奈川県南足柄市)
大雄山最乗寺は、曹洞宗の寺院で、全国4000余りの門流を持ち、曹洞宗の二つの大本山永平寺(福井県)と総持寺(横浜市鶴見区)に次ぐ格式を持つ寺院です。本尊は、釈迦如来、脇侍に文殊、普賢菩薩で、これらは、釈迦三尊像の最もオーソドックスな形式です。
<画像の説明>左又は下:御真殿 右又は上:本堂
当寺の創建は、応永元年(1394年)又は応永2年とされています。当寺を開いたのは、了庵慧明(りょうあんえみょう)禅師です。了庵慧明は、曹洞宗を中国より伝えた道元の六代目の禅師です。この方がどうして禅師になったかに関して、様々なエピソードが残っていますが、元は粕谷庄(現神奈川県伊勢原市)の地頭だったという言い伝えがある方です。開創に当って、外護したのは(スポンサーとなったのは)、大森氏とか太田氏等の可能性もありますが、歴史的にははっきりしない様です。
開創に当って、それを扶助したのが、道了大薩埵です。師は、当寺が建てられる事になって、明徳4年(1393年)に三井寺から空を飛んで当寺へ参じ、五百人力の仕事をしたとされます。様々な奇跡を起こす修験者として扱われますし、一方、十一面観音の化身として扱われる事もあります。了庵慧明遷化後、天狗になり身を山中に隠し、大雄山を守護したと伝えられることから、信仰の対象として、絶大な尊崇を集めています。現在も史跡としては、道了大薩埵関連(天狗像や巨大な下駄等)が多く残ります。
<画像の説明>左又は下:結界門と天狗 右又は上:天狗の下駄
ところで、大雄山というのは山号で、大雄山という山があって、その山に最乗寺ができた訳ではありません。当地の地形が、中国の大雄山(福州)に似ていることから「大雄山最乗寺」と呼ばれるようになった可能性が指摘されています。山は、禅宗においては寺院の事を表します。その例として、京都五山、鎌倉五山の「山」がその例です。当寺の場合も、大雄山は山号で、大雄山=最乗寺と考えればわかり易いと思います。
当寺において、ある程度歴史を感じる建造物は、多宝塔です。文久3年(1863年)建立、心柱に墨書きが残っているそうです。市の指定文化財です。厨子に多宝如来を祀ります。多宝如来は特別の像容を持つわけではありませんので、どの様なものかはわかりません。多宝塔の内部を通って、参拝のルートが作られており、周辺は、600年を経る杉の木立に囲まれ、風情があります。
多宝塔のうんちくは、池上本門寺にジャンプしてください。
<画像の説明>左又は下:多宝塔正面 右又は上:多宝塔を俯瞰
今回のアップに関しては、現地で購入した「大雄山誌論考」をベースとさせて戴きました。