川崎大師(川崎市)
寺の縁起によりますと、川崎大師は、1128年(大治3年)尊賢上人と平間兼乗が建立しました。平間兼乗にちなみ、同寺は、正式には川崎大師平間寺(へいけんじ)といいます。古くから厄除けのお大師さまと親しまれ、現在も厄除けはじめ諸願成就の護摩祈願が行われています。
江戸時代には、門前町が整備され、毎年、正月には初詣の参拝者で大変な賑わいだったそうです。明治になって、川崎大師への参拝客を運ぶため或いは縁日の客を運ぶため、六郷橋から大師まで関東地方で初めての電車、大師電気鉄道(現、京浜急行電鉄)が営業を開始しました。今、初詣の参拝客は、約302万人で、日本全体で僅差の第2位(*1)となっています。
(*1)初詣の参拝客(2018年度)は、1位が明治神宮(約316万人)、3位が成田山新勝寺(約300万人)となっています。
<画像の説明>画像左又は下:川崎大師八角五重塔 画像右又は上:大本堂
当寺は、真言宗智山派の寺院です。真言宗智山派は、覚鑁(かくばん)の創設した広義(*2)の真義真言宗の一派に位置付けられます。境内には大本堂や薬師殿、八角五重塔、仏教の経典が納められている経蔵などがあります。当寺のこれらの建造物や文化財は、殆どが昭和年間の建立です。古い歴史を持つ当寺ですが、建築物等が文化財としての重みをもつのは今後のことです。
(*2)覚鑁の創設した根来寺は、豊臣秀吉との確執の末に討伐を受け壊滅しました。その後、僧侶たちは、奈良や京都へ逃れ長谷寺(豊山)や智積院(智山)において新義真言宗の教義を根付かせ、現在の新義真言宗(根来寺)、真言宗豊山派、真言宗智山派の基礎を作りました。
その様な中で、当HPでは、信徒会館のロビーステンドグラスと山門の四天王像を取り上げたいと思います。
<画像の説明>川崎大師信徒会館 迦陵頻伽を題材としたステンドグラス
ステンドグラスは、教会の屋根や壁に取り付けられているケースが多いと思います。ヨーロッパの教会建築において発達しました。そのため、日本の寺院におけるステンドグラスは大変珍しいです。私は寺院では初めて拝見させて戴きました。
当寺においては、信徒会館の内部の荘厳さと華麗さの両方を醸し出し、好印象です。このような成功例がありますと、今後、他の寺院でも建造物の一部にステンドグラスが採用される例が増えてくるのではないでしょうか。
当寺のステンドグラスは、3面のシーンから成り立ちます。中央が迦陵頻伽(*3)、左が釈迦降魔成道図(*4)右は釈迦涅槃図(*5)、何れも大作です(*6)。ステンドグラスの手前には噴水が準備されています。噴水とステンドグラスのハーモニーは素晴らしいです。
(*3)迦陵頻伽(かりょうびんが)は、頭・顔は人、極楽に住み、妙音を出すという仏法上の想像の人/鳥です。迦陵頻伽については、本HPで何度か扱っています。
詳細は、こちらへジャンプしてご確認ください(➡)。
(*4)釈迦降魔成道図(しゃかこうまじょうどうず)は、釈迦の生涯を表した仏伝図の1つです。釈迦が修行中に悪魔から様々な妨害を受けたが、悟りを開くまでの姿を表しています。
(*5)釈迦涅槃図(しゃかねはんず)も、釈迦の生涯を表した仏伝図の1つです。釈迦が入滅(死ぬこと)した際に、彼の弟子はもちろん、一般の人そして動物までもが泣き悲しむ姿を表しています。迦陵頻伽が描かれることも多いのですが、本涅槃図には描かれていませんでした。
(*6)このステンドグラスは、株式会社大竹ステンドグラスという東京都中野区のステンドグラスデザイン制作・ステンドグラス製作・施工の専門会社の作成(1973年)です。
<画像の説明>川崎大師山門内兜跋毘沙門天像
当寺山門の四天王は、東寺講堂の四天王を模刻されたそうです。真言宗の祖空海に繋がりたいという思いから建立されたことと存じます。東寺講堂の多聞天(毘沙門天)は、地天に乗った兜跋毘沙門天です。東寺兜跋毘沙門天は、宝物殿の毘沙門天(*7)が有名ですが、地天の上に通常の多聞天が乗る像容ですので、兜跋多聞天という方が正しいように思います。(もちろんそのような言い方はありません。)こちらもぜひ長くお祀りして戴きたいと思います。
(*7)東寺宝物殿の毘沙門天は、西域風の像容をもつ毘沙門天で、当HP本編に詳しく記載させて戴いています。こちらにジャンプして確認してください(⇨) 。
<画像の説明>東寺兜跋毘沙門天像
左又は下:西域風兜跋毘沙門天(2019年東博特別展で購入した絵葉書より)
右又は上:講堂の兜跋毘沙門天(2016年に東寺で購入した絵葉書より)