東京国立博物館 特別展示 「出雲と大和」
今回は東京国立博物館で、開催中(2020/1/15-3/8)の特別展示「出雲と大和」についてです。東博の特別展としては、それほどの混雑ではないのですが、同時に開催中の「高御座と御帳台」(2019/12/22-2020/1/19)の特別展示と重なって、こちらは大変な混雑状況となっています。
<画像の説明>画像左又は下: 「出雲と大和」展案内のポスター(東博正門左)
画像右又は上: 東博本館前 高御座見学の待ち行列は2時間以上でした
今回の特別展示は、「出雲と大和」ということですが、時代的には、弥生時代から白鳳時代(飛鳥時代後期)までそれぞれの出雲と大和の特徴を抽出しながらの展示となっています。出雲と言えば、銅鐸と銅剣が大量に出土したことで有名です。以前は、銅鐸文化圏、銅剣文化圏と地域を象徴する文化財と考えられていましたが、出雲では、その両方が見つかっています。
加茂岩倉遺跡(島根県雲南市)では多くの銅鐸が見つかっていますが、今回の特別展示では埋納状況を復元した模型も展示されています。銅鐸のいくつかが「入れ子」の状態で、また、鰭(ひれ)を立てた状態で埋納された様子が復元されています。神事に使用されたと目されますが、詳細の意味合いは良くわかっていないと聞いています。銅鐸は単独で埋められた例が多い様ですが、この地方に大量に埋められたことは、この時代(弥生時代後半)には、間違いなく日本の最先端技術の地域だったと思われます。
<画像の説明>加茂岩倉遺跡 埋納状況のレプリカ
荒神谷遺跡(島根県出雲市)では、1984年農道工事に先立つ発掘調査において、計358本もの埋納された銅剣が発見されました。今回はそのうち168本が展示されました。全長50㎝、重量は約500gだそうです。重要な点は、銅剣の特徴に共通点が多く、製作者や製作地の異なる複数のグループの銅剣が寄せ集められた訳ではない事です。これは、材料の確保から製作、埋納までをワンストップで行うことができる、当時でいえば最先端技術を持った技能集団が存在したことを示唆します。 荒神谷遺跡の銅剣の発見は、大陸に近く当時は日本の最先端地域と考えられていた北九州地域で発見されていた銅剣の総数を上回っていたため、邪馬台国論争にも一石を投じました。
今回の展示では、出雲大社本殿の模型が展示されていました。神明造(伊勢神宮)では平入り(入口が棟に平行)ですが、大社造(出雲大社)は妻入りとなります。鰹木の数が偶数か奇数か、千木が横に切られるか縦に切られるか等でも神明造と大社造の特徴付がされます。女神と男神の違いで説明されることもありますが、征服神と被征服神の違いで説明されることもあるある様です。
仏像では、當麻寺金堂の持国天立像が衆目の逸品です。7世紀後半、脱活乾漆像(*1)としては、日本最古のものです。髭を蓄えた四天王像としても異色です。一緒に祀られた本尊が塑像のため、脱活乾漆像の四天王の方が格上とみられ、別の寺院から移されたとの説が有力です。
今回の特別展のテーマは、出雲と大和となっていますが、飛鳥時代には、中心地が大和になっていたためか、経済力に大きな差ができてしまっていたことがわかります。
<画像の説明>画像左又は下:出雲大社レプリカ(東博で購入した絵葉書より)
画像右又は上:當麻寺金堂 持国天立像(東博で購入した絵葉書より)
(*1)脱活乾漆像は、7世紀後半に中国より移入されました。木などの芯の上に漆をしみこませた布を何重にも張り付けていき、漆が完全に固まってから芯を抜く(脱活する)製法です。高価な漆が大量に必要なこと、漆が固まるまでに長期間必要なこと等から、大変高価な仏像ですが、細かな成形が可能な事、軽量堅固なことから、奈良時代を中心に富裕層に大変好まれました。