禅宗様建築垂木について 正福寺(東京都) 建長寺・ 円覚寺(鎌倉市)

 日本の歴史的建造物は、和様、禅宗様(唐様)、大仏様(天竺様)そしてそれらの折衷様等に分類されます。()内の唐様、天竺様は、最近は使われることがあまりなくなりました。
禅宗様は、鎌倉時代に禅宗とともに日本に請来された宋で行われた建築様式です。また、大仏様は鎌倉時代に東大寺大仏殿の再建に当たって大勧進職を果たした重源が、宋よりもたらした建築様式です。

 禅宗様の建造物で現存最古のものは正福寺地蔵堂(国宝)、又有名な円覚寺舎利殿(国宝)も、以前このHPでも取り上げました。その際禅宗様の特徴として、詰め組、弓連子又華頭窓等を紹介しました。禅宗様は、大変繊細な装飾方法をもち、日本人の感性によくあっていました。そのため、部分的に和様に取り込まれて、折衷様が生まれました。このHPでは、折衷様の例として、以前、鑁阿寺を取り上げました。

 今回は以前のブログでは取り上げなかった垂木にについてご紹介したいと思います。和様において垂木は、軒下を守る重要な構造材でしたが、鎌倉時代以降、屋根をバランスよく支えるために桔木が採用されるようになりました。そのため、垂木の構造材としての重要性は下りました。桔木は、当時宋から輸入された重要な建築技術の一つです。

<画像の説明>正福寺地蔵堂の垂木 本屋根(上の屋根)の垂木は扇垂木、
         裳階屋根(下の屋根)の垂木は並行垂木となっていることがわかります。



 

<画像の説明>右側又は下の画像:正福寺地蔵堂全景
       左側又は上の画像:大仏寺大仏殿 隅の垂木のみが扇垂木になっていることが見えます

 鎌倉時代以降、垂木は構造材というよりも、軒下を装飾する役割が大きくなりました。垂木は大きく、並行垂木と扇垂木に分類されます。並行垂木は、最も一般的で、広く使われました。現在も使われています。扇垂木は、屋根の四隅が扇状になった垂木を言います。中央部分は並行ですが、四隅のみ扇のものと、建物全体が完全な放射線状になったものがあります。完全な放射線状の扇垂木は多くの場合多宝塔等平面が正方形の建物ですが、垂木を幾何学的に中央に延長すると、中央の1点に集約できることになります。(*1)

 全体が扇垂木になっている場合は、垂木の曲率、断面図、長さ等でそれぞれ1本ずつ違ったものを造り(左右対称、点対象はあると思いますが)、それぞれの角度に配置する必要があり、扇垂木の実装は手間がかかる作業でした。そのため、宮大工の世界では、「大工と雀は軒で泣く」という言葉が伝わりました。

 禅宗様は、技法と構法が、禅宗とともに中国からもたらされた建築様式を規範としたため、その装飾方法は画一的です。本屋根の垂木は扇垂木、裳階の垂木は並行垂木と固定化されています。このことは、江戸時代ももちろん、昭和年間に至りコンクリート造りになっても、継承されています。建長仏殿 (*2)円覚寺仏殿(*3)の例をご覧ください。

 

<画像の説明>画像左又は下:建長寺仏殿 画像右または上:円覚寺仏殿
       両方の画像とも、上屋根が扇垂木、下屋根が並行垂木となっています。

(*1)大仏様の垂木として、大仏寺(中国甘粛省)の例をご紹介します。こちらは以前本HPで取り上げました。

(*2)建長寺仏殿。1647年正保4年 東京芝の増上寺より徳川2代将軍秀忠の夫人で小督の方の霊屋を移築したものです。

(*3)円覚寺仏殿 関東大震災で倒壊後、1964年(昭和39年)に再建されました。

2019年10月06日