清凉寺(京都市)

 清凉寺は、五台山清凉寺或いは嵯峨釈迦堂の名前で呼び親しまれています。国宝阿弥陀三尊坐像は、源氏物語の光源氏のモデル源融(みなもとのとおる)が造らせた像で、清凉寺の前身棲霞寺の旧本尊です。「光源氏写し顔」の伝説をもってます。

  左右の観音菩薩、勢至菩薩は、密教の手印を結ぶ形で珍しく、他に例は少ないと思います。張った肩、豊かな手足に対して腰は極端にくびれており、神秘的です。一方、観音菩薩は、冠正面に化仏(立像)、勢至菩薩は、冠正面に水瓶を飾る比較的オーソドックスなスタイルです。
 阿弥陀三尊坐像は、三尊ともにヒノキの一木造です。

 国宝釈迦如来立像は、インド―中国―日本と伝わった伝説をもち、三国伝来とよばれています。現在、当寺の霊宝館には、やはり、鎌倉時代の模刻像が安置されています。釈迦像の模造は、日本各地に100体近くあることが知られ、「清凉寺式釈迦像」と呼ばれています。

 

<画像の説明>仁王門 多宝塔 共に京都府指定文化財 江戸時代

 ➡本堂の画像にリンク

 

 清涼寺式釈迦像は、頭が螺髪の代わりに縄目状に表され、衣文線を同心円状に表します。
釈迦如来像体内納入品は、1953年に発見され、釈迦如来坐像とは別に国宝に指定されました。「チョウネン(*)上人へその緒書き」は、日本最古の平仮名書きとしても貴重です。

(*)チョウネンのチョウは、大をかんむりにして下に周をかいた字、ネンは然、<奝然>
<>内は、チョウネンを漢字で書いています。ブラウザの関係で、化ける可能性があります。

 兜跋(とばつ)毘沙門天立像は、制作時期は、平安後期、重要文化財です。東寺兜跋毘沙門天像の模刻像です。獅噛、胸当て、海老籠手等は、東寺像の模刻ですが、東寺像にある金鎖甲はありません(或いは色彩が施されていたが、現在は、色彩が消え去ったのかもしれません)。金鎖甲がないこととまっすぐ前を見、東寺像の様に横睨みしない点で、美術品としての迫力はかなり失われています。

 当寺の兜跋毘沙門天に関しては、本サイトの本編に詳細に記載していますので、そちらもご覧ください。

 ➡兜跋毘沙門天について

 

 ➡兜跋毘沙門天の展開

2017年08月14日