称名寺(神奈川県横浜市)

 称名寺の創建は鎌倉時代中期に遡ります。称名は、「阿弥陀の名を称える」の意味です。境内は国の史跡に指定され、赤門、仁王門、金堂、釈迦堂などが復元されています。10年にわたり称名寺内の庭園・苑池の発掘調査と保存整備事業が行われました。更に、「称名寺絵図並結界記」(*1)に基づいて平橋、反橋の復元と庭園の整備が行われました。

 

<画像の説明>称名寺浄土庭園

 南の仁王門から池を東西に分けて反橋、中島、平橋を渡り金堂に至る形式は、平安中期以降盛んに築造された浄土式庭園(*2)の最後の遺例として貴重です。

 称名寺の浄土式庭園は、金沢貞顕の代に完成しました。金沢貞顕は、北条貞顕ともよばれ、鎌倉幕府第15代執権となりました。祖父の北条実時が創設した「金沢文庫」を国内屈指の武家の文庫に創りあげるとともに、称名寺の伽藍や浄土式庭園の整備を行い、称名寺の最盛期を築きあげました。

 

<画像の説明>画像左または下:称名寺仁王門  画像右または上:称名寺光明院表門

 金沢貞顕は当時では一流の文化人であり、六波羅探題時代に多くの文化人と交遊がありました。鎌倉帰還後も様々な京都の文化を鎌倉で実現しました。浄土式庭園は、そのような環境の中、完成していったと考えられます。

 称名寺塔頭(*3)光明院には、かつて大威徳明王像(*4)が祀られていました。現在は、金沢文庫博物館に保存されています。この大威徳明王像は、1216年、運慶の最晩年の作品であることが、2006年修理の際に取り出された納入品(*5)から明確になりました。もとは、大日如来と愛染明王とともに三尊を構成していましたが、今はこの像のみが残されています。発願者は、源実朝の養育係だった大弐局だということも判明しました。

 

 ➡関東地方での運慶の活躍については、「願成就院」の項で以前取り上げました。
  こちらも一緒にご覧ください。

  
(*1)「称名寺絵図並結界記」は、1323年作製 称名寺蔵、重要文化財に指定されています。

(*2)浄土式庭園とは、浄土曼荼羅に基づいて配置された庭園のことで、平安時代末期に盛んにつくられました。

(*3)塔頭(たっちゅう)。子院の事。

(*4)大威徳明王は、五代明王の一尊ですが、時として、単独像としても祀られます。

(*5)像内には内刳りによって設けられた空間があり、そこに長方形の包み紙がはめ込まれていました。

    次回は、称名寺の隣り合せに位置する金沢文庫博物館の運慶展を取り上げたいと思います。

2018年02月11日