池上本門寺 (東京都大田区) 五重塔
池上本門寺は、東急池上線池上駅から徒歩10分くらいのところに位置します。東急池上線が歌謡曲でも歌われて有名になりました。池上本門寺の名前もその流れで考えてしまいそうですが、当然のことですが、東急池上線より池上本門寺の方がずうっと古いからあります。
池上本門寺は、日蓮宗の大本山です。1282年この地で日蓮が入滅(臨終)したのち、この地の領主だった池上氏により寺域が寄進され、池上本門寺の歴史が始まりました。以後、関東武士の厚い信仰を受け、又江戸時代には、徳川家はじめ多くの有力大名の寄進もあって、寺院として発展し続けました。
第2次世界大戦末期(1945年4月15日)には、アメリカの爆撃機B29による攻撃で、当寺も焼夷弾の直撃を受け、祖師堂、釈迦堂はじめ56棟が焼失しました(*1)が、五重塔は、奇跡的に焼失を免れました。
<画像の説明>本門寺五重塔 画像左又は下:近景 画像右又は上:遠景
五重塔は、1608年建立、国の重要文化財となっています。関東に残る最古の五重塔とされます。高さは、29.47m(礎石を含めて31.8m)ということで、規模感としては、法隆寺(31.45m)、日光東照宮(31.8m)等と同程度の建立物です。
当五重塔は、1614年(1618年という説もあります)の地震により傾いたため、徳川家の支援で1702年―03年に再建されました。徳川第五代将軍綱吉の時代です。
この塔は、1層目のみが和様(*2)で、2層目以降が禅宗様(*2)となっています。私は塔の内部を見させて戴いたことはないのですが、1層目の内部は禅宗様だそうで、装飾の蟇股や桟唐戸の内側の装飾もそのまま移築されているそうです。再建の際に、1層目の外回りだけが、和様へ変更がなされたようで、その意図は私には知る由もないのですが、文化財のユニークさの点では間違いなく一点物です。
塔の三層、四層の屋根は、銅板葺きがされています。野地板部分で嘉永6年(1853年)の墨書きが発見されたこと、比較的新しい0.18mm程度の伸銅が使われていたことから、江戸末期以降、おそらく、明治になってから銅板葺きに葺替えられたことが、昭和の修理の際に判明しました。
<画像の説明>画像左又は下:本門寺五重塔 寺内の墓地より 画像右又は上:本門寺経蔵
江戸時代の塔は、逓減率(*3)が小さいため、どうしても重心が上に移動して、宙に浮くように見えてしまいます。これは、技術の進歩の結果可能になったと考えられます。現在では、重厚感のある中世以前の塔に人気が集まりますが、江戸時代の塔は、繊細感、安定感があります。また、多様な装飾も見どころとなります。
(*1)『池上本門寺百年史』を参照させて戴きました。
(*2)和様、禅宗様或いは大仏様そしてそれらの折衷様は、鎌倉時代以降出現した建築様式の呼び名です。このHPで以前に何度か扱いました。リンクを張りますので、当該項目を参照ください。
禅宗様➡円覚寺舎利殿、正福寺地蔵堂 、禅宗様建築垂木について
大仏様➡東大寺大仏殿(及び中国甘粛省大仏寺)
折衷様➡鑁阿寺
和様➡興福寺関連 中金堂(2019年復興)、五重塔等
(*3)逓減率は、屋根が上層程徐々に小さくなる割合のことを言います。近世の塔は、一般的に、下層に比して上層があまり小さくならないといえます。