真如堂(京都市)
真如堂(しんにょどう)は、正式には真正極楽寺といい、天台宗のお寺です。永観2年(984年)に比叡山の戒算が常行堂の阿弥陀如来を東三条院藤原詮子(せんし)の女院離宮があった現在地に堂宇を建て、安置したことが始まりです。一条天皇の勅願寺となり天台宗の寺院として栄えましたが、応仁の乱(1467年)によって焼失しました。
その後、近江の坂本や一条西洞院など寺地を転々としましたが、元禄6年(1693年)に東山天皇の勅により現在地に再建され、宗派も天台宗に戻り、現在に至っています。先月ご紹介した金戒光明寺と隣り合わせに位置します。
<画像の説明>真如堂本堂までの参道と本堂
秋には紅葉と東山を借景にした『涅槃の庭』が有名です。
蒲団着て寝たる姿や東山(服部嵐雪(1654年ー1707年))
という一句があります。
これは、真如堂からみた東山三十六峰が、釈迦の涅槃の姿に見えることから、これを詠んだものです。残念ながら、私が訪れた9月には、生垣が成長しており良く見えず、余り良い写真を撮れませんでした。
<画像の説明>
左又は下:真如堂からみた東山三十六峰
右又は上:真如堂三重塔
本堂は、江戸時代の享保2年(1717年)の上棟で、京都市内の天台宗の寺院の本堂として最大規模を誇り(*1)、内部には、本尊の阿弥陀如来立像(重要文化財)が祀られています。現存の三重塔は、文化14年(1817年)再建、和様の建築物です。塔頭(*2)は、いくつかありますが、そのうちの一つ円覚院は、江戸中期の俳人向井去来の菩提寺で、去来の寺とも呼ばれています。
寺宝として、仏師運慶の発願によって書写された法華経六巻(国宝)や応仁の乱等を描いた室町時代の真如堂縁起(重要文化財)等多々あるそうですが、現在公開されている物はありません。
<画像の説明>真如堂寺院内の庭園
(*1)「最大規模」に関しまして、本堂前の説明書きにこの記載がありましたので、そのまま使用させて戴きました。自分で調べたわけではありませんが、ご了承ください。
(*2)塔頭(たっちゅう)は、元来禅宗由来の言葉ですが(読み方も唐音(宋音))、現地の説明書きでは、真如堂に属する子院を塔頭と表現していましたので、そのまま使用させて戴きました。