東京三大銅像 *主に西郷隆盛像のこと

 今回は、一寸テイストを変えて銅像について書きたいと思います。
雑誌の記事やネット上では、東京三大銅像とか東京三銅像という言葉が出てきます。東京三(大)銅像は、一般的には
・西郷隆盛像(上野公園)
・大村益次郎像(靖国神社)
・楠木正成像(皇居前公園)
を指すようですが、誰が決めたのか、どういう基準で決めたのか、また、他の選択があるのかもしれませんが、私は知りません。
 各像の状況を簡単にご紹介させて戴きます。
 西郷隆盛像は、上野恩賜公園の一角、南東を向いて立ちます。東京の街並みを見下ろす形で建てられています。大村益次郎像は、北東、九段下方面に向かって立ちます。皇居の周りを周回するように通る靖国通りに沿って立ちます。楠木正成像は、皇居の南に西向きに立ちます。この像は、騎馬姿になっており、本人の顔は俯き加減です。

 

<画像の説明>画像左または下:楠木正成像 画像右または上:大村益次郎像

 この3像のうち、ストーリー性があり、最も有名なのが西郷隆盛像です。西南戦争を起こして、国に対して反乱を起こした国賊として切腹した人が、なぜ、首都東京を見渡す場所に建てられているのか、なぜ軍人だった西郷隆盛が、軍服姿では無く、くだけた普段着姿なのか、また、これも有名な話ですが、除幕式の際糸子夫人が、「うちの主人は、こげんなお人ではなかった」と叫んだというエピソードが伝えられていますが、この銅像は、本当に西郷隆盛に似ているのか、といった話題もあります。


<画像の説明>画像左または下:西郷隆盛像 画像右または上:西郷隆盛像顔のアップ


 西郷隆盛像は、海軍大将、海軍大臣だった、樺山資紀が、建設委員長を務め、明治26年着工、同31年に除幕式が行われました。除幕式の参加は、山形有朋、勝海舟、大山巌、東郷平八郎等そうそうたるメンバーで、西郷隆盛の弟西郷従道の令嬢によって幕が引かれました。この際、上で書いた通り、西郷隆盛の糸子未亡人が、「うちの主人は、こげんなお人ではなかった」と叫んだ話が伝えられています。

 西郷隆盛は、生前の写真が一切伝えらえておらず(*)、顔が似ているかどうかは、今となっては、確かめようはありません。しかし、銅像の制作者の高村高雲は、作成に当たって、本人の弟西郷従道、従兄弟の大山巌の顔をベースにして、西郷の生前を知る人たちにもヒアリングをして像を作り上げたと伝えられており、そう銅像の顔かたちがかけ離れていたとは思えません。「こげんなお人ではなかった」は、顔ではなく、その服装だったのではないかと、私は思います。
 
 軍服ではなく、くだけた普段着姿としたのは、建設委員長の樺山資紀の意向と伝えられています。伊藤博文等は、陸軍大将の服装を主張しましたが、同じ薩摩閥の樺山資紀は、軍人でありながら、戦に敗れて切腹した西郷隆盛の軍服姿を、見るに忍びず、「西郷が平生好む山野で狩りをし、脱浴の趣」を表しました。樺山はこの姿が、西郷への慰霊になると考えたのではないでしょうか。
 冒頭に、東京の街並みを見下ろすともっともらしく書きましたが、実は、今JR上野駅前のヨドバシカメラに遮られて、見晴らしはあまり良くなくなりました。少し、残念です。大村益次郎、楠木正成像の話は、別の機会に書かせて戴きます。

(*)西郷隆盛の写った写真が、何度か発表されたことありますが、都度、別人として否定されています。西郷隆盛は、幕末隠密行動が多かったので、本人と特定される写真は、一切残さなかったとされています。

2017年11月26日