東寺兜跋毘沙門天と講堂の多聞天
東寺の兜跋(とばつ)毘沙門天像は、日本における兜跋タイプの毘沙門天像の基本仏です。これについては、本編で詳しく述べました。下記はリンク先です。
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一方、東寺全体の仏像を論じる場合、秀逸なのは、講堂の立体曼荼羅です。講堂には、21体の国宝仏が安置されています。その中の多聞天は、地天に乗った兜跋タイプです。地天に乗った兜跋タイプの多聞天は珍しいと思います。なぜ、通常の多聞天ではなく、兜跋タイプなのでしょうか。
もう少しこの問題を整理します。
本サイトのトップページに記載していますが、四天王の1天として祀られる場合は多聞天、単独で祀られる場合は、毘沙門天と一般的には言われています。サンスクリット語の’ヴァイシュラヴァス神‘の子を漢訳した際の音訳が、毘沙門天、意訳が多聞天であるとされます。多聞天と毘沙門天は、本来同じ尊格ですが、多聞天は、一般には、邪鬼の上に乗ります。東寺の多聞天は、地天にのる多聞天であり、極めてユニークです。
<画像の説明>画像1 東寺五重塔遠景(東寺小子房より) 画像2東寺毘沙門天堂と説明パネル
炳霊寺石窟(甘粛省臨夏回族自治州永靖県)28ガン(実際には 龕(ガン))には、四天王のうち、地天にのる広目天と多聞天が祀られていますが、中国でも極めてこのタイプは珍しいと思います。
『空海と密教美術展』(2011年東京国立博物館特別展資料)によると、「(東寺講堂の)多聞天は、補修が著しいが、近年の修理で面部は造像時の様子と大きく変わっていないことが判明した。」と述べられています。講堂諸像の開眼は839年、檜の一木造、木彫に薄い木屎漆で細部を塑形しているとのことです。
多聞天は、補修が多いとのことですが、地天については、特に記載はありませんが、当初からのものと考えた方が良いと思われます。この兜跋タイプの多聞天は、西域風の甲制は着装せず、獅噛は着装しない通常の多聞天タイプです。右手に宝塔を持ち、左手に戟を逆手に握ります。兜は、唐風で、三手に分岐しています。東寺の四天王は、持国天が最も憤怒の様子を表しますが、多聞天は瞋目(目をいからすこと)が大変な力を感じます。
講堂の多聞天が、なぜ、地天に乗るかに関しては、いくつか説がありますが、実は良く分かっていません。智泉様の毘沙門天の効能と従来からの多聞天の像容を併せ持つ像として東寺独特の像容を仏師集団が創造したのではないかと考えますが、シロートの邪推でしょうか。