成島毘沙門天(岩手県花巻市)
成島毘沙門天像は、子供の泣き相撲で有名な熊野神社の一角にあります(子供の泣き相撲は、5月上旬に毘沙門まつりのメイン催事として開催されます)。
説明書きによると、本像は、坂上田村麻呂(758年-811年)の伝説とオーバーラップされています。確かに当地は、坂上田村麻呂の北進の限界である志波城(盛岡市、803年)にも程近くこのような伝説があっても不思議ではありません。
<画像の説明>成島毘沙門天立像(含む地天)と二鬼坐像地天(バックに伝吉祥天)
兜跋(とばつ)毘沙門天像は、形式は、地天の上に直立する兜跋タイプです。甲制は、東寺像等とは違い、西域的要素は見られません。欅の一木造り、全長が4.73m(丈六)ある巨大な像です。地天の横に2鬼が分かれて祀られていますが、当初は、地天に連結されていたと考えられます。側に金光明最勝王経において毘沙門天の妻とされる吉祥天像(伝)が安置されています。毘沙門天とのバランスが悪く、当初から一緒に安置されていたのではないと考えられます。
兜跋毘沙門天像、伝吉祥天像、二鬼坐像は、重要文化財に指定されています。
<画像の説明>熊野神社毘沙門堂(旧来本堂内に毘沙門天立像が祀られていました)
11世紀頃の作品と考えられていますが、松浦正昭氏は、日本の美術NO315『毘沙門天像』の中で、比叡山の俗別当伴国道(*)発願像を原典とすると述べられています。
(*)伴国道(768年-828年、陸奥按察使(むつあぜち)828年)