信貴山朝護孫子寺(奈良県)
信貴山朝護孫子寺(奈良県生駒郡平群町)は、聖徳太子が、毘沙門天王を感得し、信貴山に戦勝を祈願し、そして自ら毘沙門天を勧請したこと始まりと寺の縁起では伝えられています。信貴山の語源は、‘信ずべし、貴ぶべし’ということです。しかし、中興の祖、信貴山縁起絵巻の主人公命連以前は良く分かっていないことが実情の様です。
本寺は、国宝「信貴山縁起絵巻」で有名ですが、お寺で購入した案内本のキャッチコピーは、「毘沙門天王の総本山」となっています。
本尊は、毘沙門天像ですが、秘仏のため(御開帳は、毎年1月1日から10日と7月1日から5日)私は直接拝観したことはありません。前立ち本尊は、通常の毘沙門天と吉祥天女像、禅弐師童子の三尊像です。
兜跋(とばつ)毘沙門天は、平安時代(10世紀)の作像。県指定。宝冠と海老籠手等西域風を着装しますが、地天にはのらない像です。その他、霊宝館には、毘沙門天三尊懸仏がありますが、国の指定ではありません。 毘沙門天を本尊とする鞍馬寺等と同じ組み合わせです。
<画像の説明>画像1:本堂(毘沙門堂)の扁額 画像2:本堂(毘沙門堂)遠景
信貴山縁起絵巻は、国宝に指定されています。信貴山と言えば、縁起絵巻です。絵の面白さや物語の展開も秀逸です。縁起は、この場合、社寺などの由来または霊験などを記載したもので、信貴山縁起絵巻も、信貴山の再興に貢献した命連の活躍を描いています。尼君の巻で東大寺大仏に参籠した命連の姉が大仏の夢告を得て、信貴山に向かう段が記載されています。
大仏殿の描写では、四天王が小さく見えています。私は、多聞天が描かれているか、気になっており、2016年5月、奈良国立博物館の特別展に信貴山縁起絵巻が出品された際に、詳細に確認しました。
(この部分以下少し変更しています。)
信貴山縁起絵巻には、大仏の左奥で多聞天の居場所には、宝塔らしきものが確認できますが、多聞天が左手に宝塔を持っている様に見えます。
<画像の説明>画像1:五重塔と地蔵菩薩半跏椅像 画像2:多宝塔 大日如来を安置 1689年建立