夹江千仏岩
夹江千仏岩は、四川省楽山市夹江県に位置します。夹江は、青衣江に沿った町で、今も川の幸が産業の一端を担っています。夹江千仏岩は、青衣江に沿った山肌に開窟されました。200以上の石窟に2400以上の尊像が造像されています。国家A2級に指定されています。ここから、道路距離にして48㎞下流の青衣江が大渡河、珉江と合流する地点に楽山大仏があります。造像中最大の弥勒像は、像高2.7m、形が楽山の大仏に似ていると言われています。
<画像の説明>画像1:夹江千仏岩97窟 画像2:夹江千仏岩石窟群
四川は、古来川が道路代りの大動脈となっていました。川を使用して旅をする人や産業に従事する人にも、山肌に築かれた石仏を見ることができたはずです。四川の石窟は概して奥行きが無く、石窟の中に入らなくても外からでも拝むことができる構造です。他の地域の石窟が一部の高貴な供養者のためのものだったことと比較しますと、極めて庶民的なものでした。周辺国との交易を通じて、経済的に裕福な地域だったことで、庶民にも造像の余力が生まれました。
<画像の説明>画像1:夹江千仏岩134窟毘沙門天立像 画像2:134窟毘沙門天立下部の地天と2鬼
この地が、石仏の「里」となったのは、彫りやすい石質(主に砂岩または泥岩)と庶民の経済力が背景にあったと思われます。日本においては、これらの民間宗教的な側面や図像表現が、それほど注目されない一要因と指摘されることもあります(*)。この石窟には、七体の毘沙門天像が残ります。
<画像の説明>画像1:夹江千仏岩136窟毘沙門天椅像 椅像の毘沙門天像は日本でも珍しい
画像2:夹江千仏岩159窟 青衣江に面した絶壁に開窟されている
(*)日本において、中国の石窟では、敦煌石窟は別格としても、雲崗石窟、竜門石窟は有名ですが、四川の石窟はメジャーにはなりません。明治時代に岡倉天心が竜門石窟を訪れて絶賛しましたが、四川の石窟には興味を示さなかったというエピソードが文献に残されています。それ以来、四川の石窟は、日本の学者の興味をひくことが少なかったと考えられます。