東光院(川崎市)
東光院(川崎市麻生区岡上)は、真義真言宗に属していましたが、現在は、単立寺院となっています。当院には、兜跋(とばつ)毘沙門天が安置されていますが、現在のところ、公開されていません。また、現在のところ、特に公開の予定はありません。
兜跋毘沙門天は、本HPのメインテーマです。
➡兜跋毘沙門天については、こちらを参照ください。
<画像の説明>東光院入口の石碑
<画像の説明>東光院山門
当院の兜跋毘沙門天は、一木造、像高96.6㎝、彫眼、宝冠を被らず髻を現します。右手に戟を持ち、左手で宝塔を捧げます。また、唐風の甲冑を着け、腰には、獅噛らしきものが確認できます。地天に載りますが、左右の二鬼はありません。当寺に設置された説明パネルの画像からは、地天の側面が垂直に切れており、かつては、両側に二鬼が配置されていたことが想像されます。
像は、平安時代のものと考えられ、市の重要歴史記念物に指定されています。
川崎市教育委員会のホームページには、写真が掲載されていますので、確認戴くことが可能です。
➡ http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000000115.html
(直接ジャンプできない場合は、コピペをお願いします。)
写真からみえる特徴として、像全体が腰太で、地天が全体の30%程度ありそうです。地天が他の兜跋毘沙門天像に比べて大きく見えます。理由として、北進一氏は、『兜跋毘沙門天の居ます風景』(日本財団
自然と文化 58号)において、この地方(東光院のある地域)では、毘沙門天の役割より、地天(=土地神)の役割に重きが置かれているためと説明されています。
また、鎌倉国宝館発行の『特別展 鎌倉震災史―歴史地震と大正関東地震-』(24~25ページ)には、東光院兜跋毘沙門天の画像とともに地天についての説明が掲載されています。
ここでは、地天は、「その名の通り大地を司る神であり、仏典や説話において、釈迦が誓いを発した際に大地を震動させ、釈迦の足を担ったとされる。」また、地天の姿は、「古来の多様な地震感の一端を伝える」と記された記事が掲載されています。
地天と地震を関連付ける考え方ですが、歴史的に何度も地震に苦しめられた関東地方では、地天を大きくするといった考え方が生まれたのかもしれません。
東光院兜跋毘沙門天の地天が、他の像より大きいことは確かですが、私には理由は良く分かりませんでした。済みません。