資中重龍山
資中重龍山は、資陽市資中県に所在します。四川省は行政上の区分の変更は、たびたびおこなわれます。内江市に属した時代もあります。住民に聞いたところ、どちらか良く分からないが、どちらでも良いような言い方をしていました。
重龍山は、資中県のダウンタウン近くにあります。朝早く行くと、近所の住民が、日本で言うラジオ体操をしています。因みにラジオ体操をする人は入場料は必要ありません。重龍山風景名勝地域として国家A2級に指定されていますが、傷みがひどく、前面に大きなフェンスが設置されています。今も変わらず信仰の対象となっています。
<画像の説明>画像左または下:資中重龍山の朝の風景 今も信仰の対象として生きています。
画像右または上:四川の毘沙門天像。右方には、道教の神様が祀られています。
石窟龕は、隋唐時代を中心に160龕、1648尊あるとのことですが、龕の番号がはげ落ちていて、確認はできませんでした。地元の資料には、明時代には、永慶寺というお寺があったとのことです。
<画像の説明>四川重龍山。下方は、破損が目立ちます。
大島幸代氏の『四川地域の毘沙門天像(2009年)』論文によると、19体の毘沙門天像が残ります。これは、四川全体に残る全51体の毘沙門天のうち、40%弱の割合になります。資中重龍山は、まさに毘沙門天の宝庫です。
民間人がスポンサーとなった小規模な石窟が並びますが、交易で利益を得た民間の篤志家が、誰でも拝めるように様々な種類の龕を造りました。このような四川の石仏が日本で紹介されることは殆どありません。四川の石仏の評価が日本ではあまりなされない点は、とっても残念です(*)。
<画像の説明>画像左または下:資中重龍山千手観音
画像右または上:資中重龍山 阿弥陀三尊像と四天王のうちの二天。
(四川の場合は、前面から拝むスタイルをとるため、殆どの場合四天王のうち二天のみが祀られます。日本では、毘沙門天と多聞天は同じ尊格とされますが、四川では、四天王の1尊として祀られる多聞天と龕の本尊として祀られる毘沙門天は、別尊と理解されていたと考えられます。)
➡四川における毘沙門天と多聞天を含む四天王の違いについてはこちらを参照ください。
(*)
肥田路美氏『序論―仏教美術からみた四川盆地』には、明治時代、「四川に入った(岡倉)天心が、これより前に訪れた河南の竜門石窟の大感激とは程遠く、(以下略)この天心の態度は、そのまま、その後百年近くもの間日本の学界の大勢であった」と述べておられます。
なお、同じ資陽市の安岳県には安岳圓覚洞があります。安岳圓覚洞については以前紹介しました。
➡安岳圓覚堂は、こちらを参照ください。
➡四川における毘沙門天の研究は、こちらをご覧ください。